宇多田ヒカル
2016-09-28

【収録曲】
全曲作詞作曲編曲 宇多田ヒカル
9.作詞作曲 宇多田ヒカル&千葉雄喜
11.作曲 宇多田ヒカル&Paul Carter
プロデュース       宇多田ヒカル 三宅彰 宇多田照實

1.道 ★★★★☆
2.俺の彼女 ★★★★★
3.花束を君に ★★★★★
4.二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎 ★★★★★
5.人魚 ★★★☆☆
6.ともだち with 小袋成彬 ★★★★☆
7.真夏の通り雨 ★★★★★
8.荒野の狼 ★★★★★
9.忘却 featuring KOHH ★★★★☆
10.人生最高の日 ★★★★☆
11.桜流し ★★★★★+2

2016年9月28日発売
UNIVERSAL MUSIC(Virgin Music)
最高位 売上

宇多田ヒカルの6thアルバム。先行シングル(配信限定)「桜流し」「花束を君に」「真夏の通り雨」を収録。前作「HEART STATION」以来約8年半振りのリリースとなった。CDはSHM-CD仕様。

2010年、宇多田ヒカルは突如活動を休止した。"人間活動のため"という理由だった。本当の理由は分からないが、10代にして時代を牽引するスーパースターとなって音楽界の第一線を走り続けたため、普通の人間としての生き方を知らなかったのかもしれない。そのような存在になった人間でないと分かり得ない感情があったのだろう。

活動休止中の2013年8月22日には母親である藤圭子が亡くなった。自殺であったとされる。一時期は何を目にしても母の姿が見えてしまったという。しかし、今作の制作中に気持ちが整理された。「母の存在を気配として感じるのであれば、それでいいんだ。私という存在は母から始まったんだから」という考えになったようだ。
もう一つの大きな出来事として、2015年7月3日に第一子の男の子を出産したことがある。この二つの大きな経験が今作の作風にも大きく影響していると言える。そのような経験を経た歌声は以前よりも優しさや温かみを感じさせるようになった。

タイトルはフランス語で「幻」「気配」と言った意味がある。上述の考えに合ったタイトルを考える中で、今までのアルバムのタイトルを飾った英語はイヤだったようだ。しかし、日本語だと意味が重くなり過ぎてしまう。結局フランス語が合うということになった。余談だが、全曲のタイトルが日本語なのが印象的だった。今まで英語のタイトルの方がメインだったように感じられる。

ジャケ写はフランスのカメラマンのジュリアン・ミニョーが撮影した。母親の藤圭子を彷彿とさせるおかっぱ頭に、ピントがボケたようなデザインになっている。


「道」は今作のオープニング曲。サントリー食品インターナショナルのサントリー天然水「水の山行ってきた南アルプス」編のCMソングに起用された。このCMには宇多田ヒカル本人も出演した。CMに本人が出演するのは6年振り。待望の復帰作のオープニングは今まで通りの明るく力強い曲で飾られる。宇多田自身によるコーラスワークがこの曲を彩っている。母親への想いを語ったような歌詞が展開されている。「私の心の中にあなたがいる」というサビの歌詞はそれが顕著に表れている。同じくサビの「It's a lonely But I'm not alone」が印象的。タイトルは今まで歩んできた人生のことを表しているのだろうか?


「俺の彼女」はサウンド面が相当に凝った曲。収録曲の一覧が発表された時、管理人が一番気になったのがこの曲だった。タイトルのインパクトが抜群だったからだ。重厚感と緊張感溢れるベースの音から始まる。途中からドラムやストリングスが前面に出るようになり、神秘的な力強さを感じさせるサウンドになる。歌い方がどことなく椎名林檎を彷彿とさせる感じになっている。歌詞は男の目線で、"俺の彼女"について語った内容になっている。女目線での部分もあるが、男女で歌い方が変わっている。「カラダよりずっと奥に招きたい 招きたい カラダよりもっと奥に触りたい 触りたい」という官能的な歌詞が印象的。後半ではフランス語の歌詞が登場するのが特徴的。恐らく上で掲載した歌詞をフランス語訳したものだろう。適当に調べつつ紹介しようと思ったが難しくて分からなかった。「私が欲しいものは…」というような感じで始まるようだが…曲、サウンド、歌詞、ボーカル。どれを取っても新機軸の宇多田ヒカルと言える曲。


「花束を君に」は先行シングル曲(配信限定)。NHKの朝ドラ『とと姉ちゃん』の主題歌に起用された。ピアノとストリングスを前面に出したバラードナンバー。とは言ってもしっとりとした印象だけでなく明るさも感じさせるのは流石。歌詞は母親へのメッセージだという解釈が多い。歌い出しの「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」という歌詞は死化粧を想起させる。「両手でも抱えきれない 眩い風景の数々をありがとう」という歌詞は心からのメッセージなのだろう。大きな悲しみを乗り越えた現在の宇多田ヒカルだからこそ作ることが出来た傑作。


「二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎」は今作発売前から公開されていた曲。宇多田ヒカルと椎名林檎の二人が出演したPVはこの曲の魅力を最大限に引き出すような素晴らしいものになっている。かつての東芝EMIの同僚で仲が良いという二人の歌姫の共演は大きな注目と期待を集めた。宇多田本人曰く「日常と非日常の危うい関係を表現したかった」という。主婦の不倫を描いているのだろう。母親となった宇多田ヒカルならではの視点と言える。椎名林檎と共演したことで、スリリングさが宇多田一人で歌うよりもさらに増幅されているように感じられる。 二人の歌声の親和性が大変に高く、聴いていてとても心地良い。「お伽話の続きなんて誰も聞きたくない」という印象的。そこからの展開がワクワクさせるものになっている。二人の魅力を一切消していない。アーティスト同士のコラボの模範のような曲である。


「人魚」は神秘的な世界観が展開された曲。イントロからハープの音が前面に出ており、ファンタジックな印象がある。聴いていると眠くなってしまうような優しい曲調である。歌詞の意味はよく分からない。「不思議とこの場所へ来ると あなたに会えそうな気がするの」という歌い出しが印象的。人魚というのは何かの例えなのだろう。夕暮れの海をイメージさせるような優しさや静謐さが感じられる。聴いている者の心を包み込んでしまうような雰囲気が漂っている曲である。


「ともだち with 小袋成彬」は以前の宇多田ヒカルを想起させる、濃厚なR&Bナンバー。今作発売前に放送された音楽番組で紹介され、話題を呼んでいた。サウンドはテナーサックスやアコギが前面に出ており、謎めいた魅力が溢れている。同性愛について触れた内容の歌詞が展開されている。ストレートの男性に恋をしてしまったゲイの男性を描いているようだ。全編通して悲痛な想いが綴られている。「もう君の一番じゃないと意味がないから」というサビ終わりの歌詞が印象的。 軽々しく語れないようなテーマではあるが、とても考えされられる内容である。小袋成彬さんが誰かわからなかったが、調べてみると作詞、作曲、編曲家として活動している方らしい。著名なところだと水曜日のカンパネラの楽曲を手掛けたことがあるようだ。小袋さんのコーラスもこの曲の世界観の中で重要な立場を担っている。


「真夏の通り雨」は先行シングル曲(配信限定)。日本テレビ系ニュース番組『NEWS ZERO』のエンディングテーマに起用された。ピアノとストリングスが前面に出た静謐なバラードナンバー。今までの宇多田ヒカルの楽曲とは一味違った陰の部分を感じさせる曲である。管理人はこの曲を初めて聴いた時、鳥肌が止まらなかった。この曲も母親である藤圭子への想いを綴った曲だという解釈がされることが多い。全編通してとてつもなく大きな喪失感や虚無感を感じさせる歌詞が展開されているのだが、ラストの「ずっと止まない止まない雨に ずっと癒えない癒えない渇き」というフレーズは喪失感が顕著に表現されている。タイトルは「真夏に突然起きた出来事」というような意味だと解釈している。余談だが、藤圭子の命日は2013年の8月22日。単なるこじつけだが、タイトルと関係しているのだろうか?


「荒野の狼」はロックやR&Bを混ぜたような曲。サウンドは初期の宇多田ヒカルを彷彿とさせる。タイトルはドイツの作家ヘルマン・ヘッセの『荒野のおおかみ』から取られているという。ベースやサックスが前面に出たサウンドが非常に格好良い。世界を斜に構えて見ているような歌詞が特徴的。「まずは仲間になんでも相談する男 カッコいいと思ってタバコ吸う女の子」という歌詞は周りにいなくても何故か共感できてしまう。「首輪つながれて生きるのはご免だね」というフレーズが印象的。シニカルな歌詞もさることながら、サウンドが管理人の好みを直球で突いてきた。


「忘却 featuring KOHH」は狂気すら感じさせるような重苦しい世界観を持った曲。KOHHさんが誰か知らなかったが、ヒップホップの界隈では大きな注目を集めているMCのようだ。作詞には千葉雄喜と掲載されているが、それはKOHHさんの本名らしい。"featuring"というよりはKOHHのラップがメインになっている感じ。心臓の鼓動の音からこの曲は始まる。今作のジャケ写から想起されるアルバムの作風を最も象徴していると言える曲。死生観を前面に出した内容の歌詞が展開されている。「記憶なんてゴミ箱へ捨てる ガソリンかけて 燃やしちゃえ」「喪服に着替え お迎えがくるまで 生きてんのは死ぬ為」と言ったフレーズは強烈なインパクトがある。今作のハイライトと言っても良い曲だろう。聴いていると鋭利な刃物で心を突き刺されるような感覚がある。重苦し過ぎて積極的に聴く気は起きないのだが、存在感抜群の曲である。今までの宇多田ヒカルには決して作ることが出来なかったであろう曲だというのは聴けば分かる。


「人生最高の日」は前の曲からは打って変わって明るい雰囲気溢れる曲。曲調やサウンドがとても明るく、前の曲から続けて聴くと救われたような気分になる。「シェイクスピアだって驚きの展開 That's life」というフレーズがインパクト抜群。人生という舞台にシナリオは存在しないということなのだろう。"苦尽甘来"という四字熟語が歌詞に登場する。意味を調べると「苦しい時が去って、楽しい時が訪れること」なのだという。もう一つ登場する"虚心坦懐"という四字熟語は「素直な心で物事に臨むこと」らしい。 歌詞、曲調、ボーカルから多幸感が溢れている。


「桜流し」は今作のラストを飾る先行シングル曲(配信限定)。映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の主題歌に起用された。活動を休止してから最初に発表した曲。今作の中では最も古い曲。宇多田曰く「最後にしか置きようが無かった」という。壮大なボーナストラックのような存在なのだろう。管理人はタイアップした映画を見たことがないどころか、ヱヴァンゲリヲンシリーズが全くわからない人間だがそれでも一回聴いただけで引き込まれるものがあった。悲しみや人生の終わりに寄り添うような内容になっている。タイトルは 「春の雨で桜の花が散っていく様子」を表したものだという。そこから転じて、桜を散らすような雨のことも指すようだ。余計な音を一切無くして徹底的に作りこんだような静謐かつ力強いサウンドが特徴的。後半からの展開には聴く度に鳥肌が立ってしまう。ラストの「どんなに怖くたって目を逸らさないよ 全ての終わりに愛があるなら」という歌詞が圧巻。全ての亡くなった人々への鎮魂歌のように感じられる。


今作を初めて聴いた時の感想は「暗い」というものだった。しかし、何故か引き込まれる何かがある。


以前の「ULTRA BLUE」をさらに進化(深化)させたような深遠な世界観が広がっているアルバム。「歌姫復活!」というような感じで騒がれて出されたアルバムではあるが、今までの明るさは殆ど感じられない。活動休止期間を経て、徹底的に自らと向き合って磨き上げた曲が並ぶ。そのためか、歌声や歌詞の数々には圧倒的な力強さと説得力がある。今作の何よりの特徴は、 母親である藤圭子への想いを綴ったような曲や、死生観が語られた曲が多いこと。今作のタイトルは「気配」を意味するが、彼女の「気配」を感じさせる。今作の作風をいくら解釈しようとしても、どんどん真実から遠ざかってしまうような感覚がある。まさに「気配」のようなアルバムである。

★★★★★