今日は僕の誕生日。遂に自分も二十歳になってしまいました。今回の記事では、二十歳を迎えた自分による駄文を気分のままに連ねていきます。


小学生の頃、「二十歳になったら立派な人間になっているんだろうなあ…」なんて、漠然と将来を思い描いていた。本当に二十歳になってみるとどうだろう。びっくりするほど頼りなく情けない男が出来上がっていた。あの頃思い描いていた自分よりも身長が低いし、頭も悪いし、自立とは程遠い冴えない日々を過ごしている。そのくせ、顔だけはいっちょまえに老けてしまった。「いつの間にか 大人になって ソファーの奥 沈んでた」という、とある大好きな曲の歌詞の一節を思い出した。

正直に言って、成人したという実感がまだあまり無い。初めて「成人」としての自分を実感させられたのは、9月に入ってからのこと。自分の誕生日が来ることを心待ちにしていたかのように、年金に関する書類が家に届いた時だった。早過ぎるバースデーカードだった。学校から帰って、家のテーブルにその書類が置いてあったのを見た時の驚きは相当なものだった。急に責任が重くなった気がしたからだ。


僕は「19歳」という年齢が「17歳」と同じくらい好きだった。「じゅうきゅう」でも「じゅうく」でも「ナインティーン」でも。どの読みでも響きが良いと思う。
これは高校生の時から考えていたことだが、実際に19歳の自分を過ごしてみると、大人になってしまう前の自由な時間というイメージがあった。一人の人間として背負う責任は少なく、友人と遊んだり騒いだりしてばかりの日々だった。「学生」としての自分の本分である授業やテストについても、そこまで追い詰められることはなかった。言うまでもなく、素晴らしい日々だった。「いつまでもこのままでいたい!」なんて何度思ったことだろう。

二十歳と言えば成人式が思い浮かぶ。しかし、成人式には出たくない。高校の頃のメンツに再会できるなら喜んで行くが、中学――それも中学3年のクラスともなれば話は別。小学校〜高校を通して、最も嫌だったクラス・戻りたくないクラスこそが中学3年の頃のそれだ。虐められていたわけではないが、良い思い出が全くと言っていいほど無い。いつも何かに苛立っていて、精神がささくれ立っていた気がする。担任のことは心底「ハズレ」だと思っていた。
また、他のクラスの友人とばかり遊んでいた。同じクラスにもそれなりに仲の良い人はいたが、卒業したら一切繋がりが無くなった。断ち切りたかったのではない。自然と切れていた。そんなもんだったのだろう。ちなみに、「他のクラスの友人」は高校も大学も違う者が多いが、彼らとは今でも時折連絡を取り合っている。
その頃は淡々と日々を消化して、気付いたら卒業していたような感じがする。高校受験でもさほど努力していないし、趣味に没頭していたかと言えばそうでもない。その頃の自分は何をしていたのだろう。ほんの少し努力しないと思い出せない。
中学3年生としての日々を表現するとしたら「黒歴史」という言葉もある程度当てはまるが、それ以上に「エアポケット」という言葉の方が合うかもしれない。空白。そこだけ抜け落ちているようなイメージがあるのだ。

ただ、いつか忘れたが『笑ってコラえて』で「成人式に出なかった人はハゲる」という説が浮上していたのをはっきりと覚えている。(これを書くにあたって調べたところ、2019年2月20日放送の2時間スペシャル内の朝までハシゴの旅と判明) 
その説はバイきんぐの小峠、この番組の小松原ディレクター、安田大サーカスのクロちゃん、この回に出演していた素人の男性数人が実証していた。
それを見て「成人式に出なきゃ」と強く思った。行った人からのどのような言葉よりもこの回が効いた。中肉中背・メガネ・オタクという今の属性にハゲがついてしまったら…?考えるのも恐ろしい。「この家系はハゲない家系だよ」と度々母に言われているが、それでも怖いものは怖い。自分が例外になってしまったらと思うと…やはり、成人式に出るしかないわけだ。

成人式は成人したことを祝うためでも、過去の思い出に浸るためでもない。ハゲないために参加するのだ。…そして、僕は嫌々ながらも成人式に出ることを決意した。


…このような感じで駄文を連ねてきましたが、成人になってしまったものは仕方がないので、悔いのないように充実した日々にしていきたいです。ブログも一時期ほど盛んには更新できないと思いますが、それなりのペースで続けていくつもりです。これからもよろしくお願いいたします!