タイトル通りの話題です。あまりカラオケについて語ったことが無かったと思うので、いい機会ということで。


先日ヒトカラに行ったんだが、ようやく自分の歌声の本質がわかったような気持ちになった。

俺のカラオケデビューは高校3年。受験が終わり、合格が決まってから大学生活が始まるまでの、あらゆる責任から逃れることかできた天国のような時間。人より遅いカラオケデビューだったんじゃないかな?それまでは行きたいと思うことも無かったし、よくわからなかったというのが実際のところだった。


その頃はまだ俺の本当の歌声に気付けなかった。俺は喋り声がかなり低い方だと思う。それは他の人からも時折言われることがある。喋り声が低いのであれば、歌声もそのまま低いもんだろうと思っていた。

間違いなく浜田省吾が十八番になるなんて予想していたが、いざ歌ってみるとまったくもって音程が合わない。サビの高くなるところで辛うじて音程が合うものの、それ以外が全く出ない。福山雅治もサザンもミスチルも軒並みそうなった。
割と本気で「俺、歌えるのねえじゃん」なんて思っていた記憶がある。

それが地味に大きなコンプレックスとなっていたので、友人とカラオケに行く時、その友人が採点をつけるタイプの人だと心の中で焦っていた。
​「カラオケは魂」「カラオケは自己陶酔」だと思っているんだが、いざ数字で出されると流石に心に来るものがある。

そのため、採点を切り、ネタ路線の曲を主体としたカラオケや、ひたすらアイドルのMVを観ながら熱唱する地獄のようなカラオケにハマった。「ドルオタカラオケ」「限界カラオケ」などと呼び、同じくドルオタの友人やフォロワーと共にこれに熱中した。


ただ、今年に入ってからは就活やこれからの人生を意識することが増えた。それはドルオタの友人も同じだった。
そして、その想いは彼とのカラオケをも変えた。


​「これからのために真っ当な選曲をしようぜ」​という流れになり、オタク2人は少しでも一般人に近い選曲(=ヒット曲、著名な曲)で構成されたカラオケを始めた。そう、カラオケはオタクたちだけで行くわけではない。俺と違って真っ当に生きてきた同世代と行くこともあるかもしれないし、上司の世代もいる。女性もいるかもしれない。もう少し社会性のある選曲が求められるというわけだ。

この​「新しいカラオケ様式」については、少しでも歌いやすい曲を見つけ、これからのカラオケに備えることを目的としている。「この曲は同世代向け」「こっちは50代上司向け」などと、全ての選曲に何かしらの意図を持たせるのだ。


この流れの中で、遂に俺の歌声の本質に気付くこととなった。

「お前がそれ歌うんか?」というツッコミ待ちで、ほぼネタのつもりでOfficial髭男dismの「Pretender」を歌ったところ、予想以上に歌いやすかった。それなりに高音がきつい曲だと思うが、そこまできつくなかった。
立て続けに同じく髭男の「I LOVE…」を歌ったところ、中々歌いやすかった。
他にも、スピッツの「楓」やあいみょんの「マリーゴールド」、1986オメガトライブの「君は1000%」、徳永英明の「壊れかけのRadio」辺りも歌いやすい。


また、俺自身が歌う時は原キーにこだわるタイプなので、原キーで歌えなければその曲は得意ではないとみなす。キーをいじると逆に歌いにくくなってしまうのだ。もうそういうことじゃん。結論が出た。


理論的なことはさっぱりわからないし、自分は歌が上手いとも思わないが、俺は喋り声に反して歌声がかなり高めなのだ。

そして、先日のヒトカラでさらに確信した。

スピッツの「ロビンソン」やASKAの「はじまりはいつも雨」、小野正利の「You’re the Only…」、スターダストレビューの「夢伝説」「今夜だけきっと」などとやたらハイトーンにこだわった選曲をしてみたところ、一部は少し頑張る必要があるがやはり歌いやすかった。

かつて歌いやすいだろうと予想していた曲が全く歌えず、かつてどう考えても無理だと思っていた曲が歌いやすいという現象が起きていた。限界カラオケをやっていた頃にも得意な曲は一部あったのだが、今思うとそこまで歌いやすかったというわけでもない。その頃に得意だと捉えていた曲と、現在得意だと感じる曲は全く違う。


ここ最近のカラオケで自分の歌声が高いことを実感したが、さらにその想定を超えて歌声が高かった。
もはやテノールどころかアルトに片足を突っ込んでいるんじゃないかと思った。


自らのリアルな歌声を認識してから、中学時代の合唱コンクールでバスのパートにいた自分のアホっぷりを痛感した。1年の時しか賞を取れなかったのは、俺がバスパートの中で一人だけ浮いた声で激しく主張していたせいなんじゃないか?なんて推測してみた。一人で結果が左右されるほどではないだろうし、選曲や担任の政治力の方が賞を取るのに必要とされていた印象があるけど。
もし当時から今と変わらない歌声だったとしたら、少なくともテノールにいるべきだっただろうし、ひょっとしたら女子に紛れてアルトにいるべきだったのかもしれない。


こうして自分の歌声を認識するようになってからは、少しずつ自分の得意な曲が増えていった。そして、ドルオタカラオケやら限界カラオケやらをやっていた時とはまた違った楽しさを見出せるようになった。
今後はより楽しんでいきたい。