最初のアーティスト解説は管理人が最も好きなアーティストである大江千里です。アーティスト解説は少しでもアーティストについて理解を深めていただくことが狙いです。魅力が伝われば良いのですが…
↑昔の大江千里
↑現在の大江千里
中学1年の時にyoutubeでたまたま耳にした「格好悪いふられ方」を聴いてすぐに気に入り、彼の他の曲を貪るように聴きました。歌詞の世界に惹かれたのです。管理人が音楽を聴くとき歌詞を重視するようになったのは彼の影響を受けたからかもしれません。ちなみに、CDを集め始めるきっかけとなった存在です。閑話休題。早速解説を始めます。
【どんな人?】
大江千里は1983年にデビューし、1980年代半ばから1990年代前半にかけて活躍した男性ソロアーティストです。「男ユーミン」の異名を誇り、男女の機微に触れた文学的な匂いを持った歌詞、キャッチーでありながら詞世界に浸れるメロディアスさも持った曲を多く発表し、人気を集めました。
主なヒット曲として「格好悪いふられ方」「あいたい」「ありがとう」「十人十色」等があります。
シンガーソングライターとしてだけでなく、俳優やエッセイの執筆、ラジオパーソナリティ、テレビ番組の司会等幅広く活動していました。今だと星野源が近いでしょうか。
鼈甲縁眼鏡で細身のルックス。今で言うメガネ男子、草食系男子の先駆けとも言える存在でした。そのためか、主なファン層は若い女性でした。細かく言うと、お嬢様系や今で言うサブカル系の女子大生です。彼本人が関西学院大学在学中にデビューしているため、女子大生とは親和性が高かったと思われます。
【バブルと大江千里】
ライブでのパフォーマンスも派手(電飾付きの衣装、フライング、マジック等)で、その辺りにバブルを感じます。
彼はバブル時代に助けられ、苦しめられた存在と言えます。前述のような派手なパフォーマンスができたのは間違いなく時代のお陰ですが、分かりやすく盛り上がれる曲が求められていた時代だったので比較的難解な歌詞が並ぶ彼の世界観には少し合わなかったようにも思えます。
バブル時代の男性はまさに肉食系で、現在の男性の多くを占める草食系男子のような繊細な男性を描いた曲や見た目で売っていた彼は最も淘汰されるタイプの男性だったと推測できます。事実内省的な詞世界が減った1989年以降シングル、アルバム共に売り上げが上昇しています。しかし、熱心なファンは1989年以前の曲が好きという人が多いです。売れるためにバブル時代に迎合したということでしょうか。
【大江千里の歌声について】
歌声が非常に好き嫌いの分かれる独特な声だったこともあまり受け入れられなかった原因です。管理人でも素人の方が上手いのではと言いたくなるほどです。ハスキーボイスというよりガラガラした声で、高音も非常にギリギリ、売れていた時期でさえ苦しそうな感じの歌い方でした。フリーザ様(声優の中尾隆聖)や板東英二に似た声とよく言われています。普通に喋っている声は凄く渋くて良い声なんですが…
しかし、その声が楽曲の世界観を構成していたのです。
何よりも不運だったのが最大のヒット曲を出した1991年には既に歌声が劣化し始めていたことです。そして、彼に強い影響を受けた槇原敬之が台頭し、そのまま彼を追い越していってしまいました。槇原敬之は彼に似た世界観に歌唱力を格段に上げたようなスタイル、なおかつルックスでもこれ以上無いほどにダサい男を強調できていたため、元々アイドル的な売り出し方をされていた大江千里とはダサい男の説得力が違ったのです。
そして、翌年1992年に彼自身も出演したドラマ『十年愛』の主題歌に起用された「ありがとう」が彼にとって最後のヒット曲となり、少しずつ世間からフェードアウトしてしまいました。
【近年の活動】
2000年にはデビュー以来所属していたEPICソニーを離れ、自主レーベルを立ち上げました。それからも精力的な活動をしていましたが、2008年からは日本での音楽活動を休業し、ジャズの勉強をするためにアメリカに渡りました。2012年にはジャズピアニストとして初のアルバムを発表し、現在はジャズピアニストとして活躍しています。
【再評価の兆し】
近年は「格好悪いふられ方」が映画『モテキ』の挿入歌に起用されたり、槇原敬之や秦基博によって彼の隠れた名曲の定番だった「Rain」がカバー(秦基博バージョンはアニメ映画『言の葉の庭』主題歌に起用)されたり、「YOU」「夏の決心」がアイドルネッサンスによってカバーされたりする等、再評価が進んでいます。
もともと楽曲の良さは一定の評価を得ていたのですが、歌う人が変わってもっと評価されるというのは歌声が独特な彼らしいように思います。草食系男子と呼ばれる男性が増えた今こそ彼の楽曲が再び輝く絶好のチャンスなのかもしれません。もしも彼が近年デビューしていたら史実以上の人気を集めていた可能性もあります。時代がやっと彼に追いついたということでしょうか。
【アルバムについて】
初期(1983年~1987年)のアルバムは入手しにくかったのですが、リマスター再発され、比較的入手しやすくなりました。
最も売れていた時期(1988年~1994年頃)のアルバムは中古屋に行くととても安価で売られています。見かける頻度が高いので入手しやすいです。
それ以降のアルバムは中古屋で殆ど見かけません。もし入手できても声の衰えが顕著なので相当なファンで無い限りは受け入れ難いと思います。
【まとめ】
歌声が独特ですが、慣れると味のある声になるので、気になった方は是非聴いてみることをお勧めします。
特に槇原敬之、秦基博のファンなら聴いておくべき存在です。
コメント
コメント一覧 (13)
売れるためにバブルに迎合した……
今から考えると合点のいく理由ですが、
どうなんでしょうねぇ。
売れるためというより、以外と面白がってやってたかもしれないですよ。
彼は音楽的に興味の幅が広そうなので。
ライブが派手。はい、彼のライブは一風かわってましたね。でもがむしゃらに、全力でライブする姿は魅力的でした。
あとひとつ。秦さんのrain、正直、曲の魅力が増しているよう聞こえます…苦笑
すみません💦、いや、千里さんのrainも素敵ですよ、でも、一般の方には秦さんの方が魅力が伝わりやすいというか……ね。
やはり、声色の違い、大きいですね。
事細かな解説、感服しました。
私はリアルタイムで『未成年』から聴き始めた世代です。
LIVEにも、千里が地元に来てくれたときは毎回観に行っていました。
で。
リアルタイムで体感した者のひとりとして少しだけお話をさせて下さい。
AlbumやSingleが発売された当時、千里自身が音楽雑誌(GBやPATI×2等)で発言したいた内容との差異が時々見受けられます。
私以外の方もコメントで書かれていますが、『売れるためにバブルに迎合した』という解釈は少々事実と異なります。
実際にLIVEを観た方なら解る話だと思いますが、実質『1234ツアー』までは大手のスポンサーが付かず、大がかりなセットやサポートメンバーを引き連れてのツアーは困難だったという『資金的』な問題がありました。事実、地方で行われていたツアーLIVEでは客員動員数がホール全体の1/3であったり1/5であったりということも少なくありませんでした。『1234ツアー』以降のLIVEと比べてみても遙かに簡素なセットであり、メンバーも必要最小限という構成でした。
次作である『redmonkey yellowfish ツアー』からはラジオ番組(ラジオ局)や自動車メーカーなどの大手スポンサーが付くようになり、実質的に『派手』と言われるようなセットを組んだり、大人数のサポートメンバーや大物メンバーを引き連れての全国ツアーが可能になった、という経緯があります。
千里自身は自身の年齢(加齢)と自身の書く詩の世界観についてギャップを感じるようになり、更に若い頃に作ったヒット曲の存在にプレッシャーを感じ、30歳で引退をしようという想いが芽生えていました。しかしちょうど30歳のその年に自身最大のヒット作である『格好悪いふられ方』が発売され、千里独りの意思では引退の出来ない状況になりました。
しかし次第に『年相応』『等身大の自分』を投影した作品作りに回帰し、『六甲おろしふいた』や、本人曰く『原点回帰』の気持ちで製作した『Giant Steps』頃から次第に肩の力が抜けていく様子が顕著です。
蛇足ですが、千里がライブにて派手目の目立つ衣装を着ていたのにはそれなりの理由があり、理由のひとつとして『大ホールやアリーナなどで歌う時に、遠くのお客様からでも一目で認識出来る様に』という千里の想いがありました
主観が入りすぎており、実際に千里がインタビューなどで答えていた言葉が不足しすぎている点が見受けられます。
ひとつひとつ挙げていくとキリが無いので、ひとつだけ。
例えば『1234』に収録されている『ハワイへ行きたい』に込められた『反戦』のメッセージですが、歌詞中に『軽く言わないで この海の先は今日前線に入る』という箇所がありますが、この部分がそれに該当します。
等々・・・。
あと、千里の歌にChristmasソングが多いのは、千里自身がクリスチャンであるということが大きな理由のひとつです。
とまあ色々と書き連ねてしまい失礼をしたという想いもありますが、『売れるためにバブルに迎合した』という記述に対して非常に強い違和感を抱いた為、出しゃばらせて頂きました。
駄文、失礼しました。
古参のファンからの期待と、自身の加齢によるその差異に悩み、ちょうど引退をも考えていた頃に一番のヒット曲である『格好悪いふられ方』が発表されました。ここで引退をしていれば「成功者」と成り得たのでしょうが、千里ひとりでの決断が出来ない環境になってしまっており、結局はその後もシンガソングライターとして活動を続けることになります。
「平凡な歌詞になっていった」とありますが、それに関しても少し違う気がします。
実際『碧の蹉跌』や『『Solitude』ビルボード』などはピークの頃の所謂「千里節」が見事に現れています。古参ファンの期待と自身の加齢との葛藤のせめぎ合いが見られるのも仕方のない事だと思います。「歌詞にもっともっと力を入れるべきであった」とありますが、これも古参ファンへの回答としての『歌詞』と『等身大の自分』との葛藤の末の話です。
実際千里自身で歌うことなく他の歌手に提供しているものにはピーク時の頃のような多様な表現が堅実・如実に現れています。
いつまでも若い頃のままでいて欲しいファン、しかし等身大の自分の年齢。
そのせめぎ合いの中で紆余曲折してフェードアウトしていったのが大江千里です。
長文失礼しました。
Album『ゴーストライター』ではそのタイトル通り、今までの千里とは違う作風になっています。この作品こそが古参ファンの期待に答えるわけではなく「その当時の等身大の大江千里のカタチ」です。
奇しくも『ゴーストライター』で等身大であり年相応の本当の自分を出し、そして『ゴーストライター』でシンガソングライターを終えたということです。