久し振りの音楽コラムです。今回はタイトル通り「伝説の編曲家」と言ってもいい程の偉大な編曲家、大村雅朗さんを紹介します。


「大村雅朗」という名前を聴いて誰か分かった方はかなりマニアな1970~1980年代の音楽好きでしょう。名前を聴いたことが無いという方が圧倒的に多いと思われます。ですが、彼が手掛けた楽曲を聴いたことが無いという日本人はまずいないと言っても過言ではありません。
それでは、本題に入りましょう。


【そもそもどんな人?】
大村雅朗さんは1951年に博多で生まれました。ヤマハ合歓音楽院(今のヤマハ音楽院)のバンドディレクター科を経て、ヤマハ音楽振興会本部研究室研究員第一期生となりました。編曲家としての活動は1978年頃からです。そして、時代を彩る数々の名曲を手掛けました。編曲家の他にも作曲家、キーボーディストとしても活動していました。
しかし、1997年6月29日に肺不全で逝去。享年46歳。あまりにも若過ぎる死でした。多くの音楽関係者が大村さんの死を悼みました。

↑生前の大村さん


【手掛けた著名な楽曲】(順番は適当です)
八神純子 「みずいろの雨」…この曲が大村さんの編曲家としての出世作になりました。


岸田智史「きみの朝」…ドラマ『愛と喝采と』の挿入歌に起用され、ヒットしました。岸田智史の代表曲です。


ばんばひろふみ「SACHIKO」…ばんばひろふみの代表曲です。ヒットした結果、ばんばひろふみの元に全国のサチコさんからファンレターが来たとか。


海援隊「人として」…ドラマ『3年B組金八先生』の第2シリーズの主題歌に起用されました。「腐ったミカン」のフレーズで有名なシリーズです。


佐野元春「アンジェリーナ」「SOMEDAY」…佐野元春の代表曲として今でも愛されている曲です。ファンではない層からも知名度が高い曲だと思われます。※「SOMEDAY」はストリングス編曲。


河合奈保子「スマイル・フォー・ミー」「Invitation」「エスカレーション」「UNバランス」等… 河合奈保子の代表的なヒット曲を多く手掛けています。懐かしの名曲特集のような企画でたまに紹介されます。


松田聖子「青い珊瑚礁」「チェリーブラッサム」「夏の扉」「白いパラソル」「野ばらのエチュード」「SWEET MEMORIES」「時間の国のアリス」「ハートのイヤリング」「天使のウインク」「ボーイの季節」「櫻の園」等… 松田聖子関連の仕事が最も有名だと思われます。「SWEET MEMORIES」は編曲だけでなく、作曲も担当しました。「櫻の園」は大村さんの遺作(作曲担当)です。ファン人気の高い名曲です。管理人は松田聖子の最高傑作は「SWEET MEMORIES」だと思ってやみません。


吉川晃司「モニカ」「サヨナラは八月のララバイ」「ラ・ヴィアンローズ」「You Gotta Chance ~ダンスで夏を抱きしめて~」等… 初期の吉川晃司を代表するヒット曲の多くを手がけました。特に「モニカ」は有名ですね。


大沢誉志幸「その気×××(mistake)」「そして僕は途方に暮れる」…大沢誉志幸の代表曲。「そして僕は途方に暮れる」は多くのアーティストにカバーされています。ここで紹介した2曲が収録されたアルバム「CONFUSION」の全収録曲の編曲を担当しました。


中山美穂「クローズ・アップ」「JINGI・愛してもらいます」「ツイてるねノッてるね」… 中山美穂の代表曲と言える曲です。よく懐かしのアイドル特集で紹介される曲です。


大江千里「格好悪いふられ方」「ありがとう」「Rain」… 大江千里の代表曲を多く手掛けました。ファンの間で名盤と名高い「AVEC」「OLYMPIC」「1234」に収録された全曲の編曲を担当しました。大村さんが亡くなった後、大村さんに捧げる曲として「碧の蹉跌」という曲を発表しました。


渡辺美里「My Revolution」「Long Night」「Teenage Walk」「BELIEVE」「夏が来た!」等… 渡辺美里の最大のヒット曲「My Revolution」も大村さんが手掛けました。渡辺美里と大村さんは楽曲制作での繋がりが深かったのですが、ある時に意見の食い違いから距離を置き、仲直りできないまま大村さんが亡くなってしまったようです。渡辺美里が1997年に発表した「ランナー」という楽曲は大村さんに捧げた曲だと言われています。

他にも、数えきれない程多くの楽曲のアレンジや作曲を行っています。上で紹介した曲はほんの一部に過ぎません。


【同業者からの評価】
その仕事ぶりだけでなく、人柄の面でもアーティストから支持を得ていました。
松田聖子はデビュー当時からの良き相談相手として大村さんを兄のように慕っていたそうです。同じ福岡出身だったことも大きいと思います。

小室哲哉は大村さんからアレンジのノウハウを得たと言います。「My Revolution」の転調部分直前のコードの使い方は大村さんによるものだそうです。それによって明るい曲調になり、助けられたとのこと。1990年代以降小室哲哉はプロデューサーとして大活躍しますが、その楽曲の裏には大村さんから得たものが生かされているのかもしれません。

松本隆、大江千里、大沢誉志幸、佐野元春等錚々たる面々が大村さんの早過ぎる死を悔やみました。


【まとめ】
このように、数々の名曲を手掛け、同業者からの評価も高かった大村さんですが、一般ではあまり評価されていないように思えてなりません。著名な作詞家や作曲家はその仕事をまとめた作品(ボックスセット、トリビュートアルバム、コンピレーションアルバム等)が出されることが多いですが、これ程の実績を残した大村さんを讃えるような作品はありません。これは編曲家全体に言えることです。

編曲家は仕事の割に過小評価されがちです。音楽を聴く時は、編曲家にも注目して聴いていただきたいと思います。色々と聴いてみると編曲家それぞれのクセや特徴があって面白いです。

今回のコラムを通して、大村雅朗さんの名前と偉大な功績を知っていただけたら幸いです。大村さんが手掛けた曲は今も色褪せず、輝き続けています。これからもずっと聴いていきたいと思います。最後に、大村雅朗さんの御冥福を心からお祈りし、この文章を終わります。